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勢川びき
2000年10月2日(月)

No.63 「声が出せない」

 二、三日のつもりだった集中治療室に、まだ江実はいます。
 呼吸補助装置が気管支の奥深くまで入れられたままで、声が全く出せません。感染は治まり熱はなくなっていますが。
 ベッドに縛られていた手は自由になって少し楽になったと思いますが、体の向きを変えたりはできません。

 まだ全体的に水分が多くて、パフィー(腫れている)状態です。特に目の周りの腫れがひどくて、目が覚めても薄目しか開けません。こういう状態なのですが、栄養も与え続けなければならないため、肺内の水分が徐々にしか減らず呼吸補助装置が必要な状態が続いています。
 早く呼吸補助装置が外れることを毎日期待して十日も経ってしまいました。

 9月15日に一歳の誕生日を迎えた時は、あとは退院に向かって、そして肝臓移植を受けて、元気な体になろうね、と思っていました。そうしたら、とんでもないよ、そんなに簡単にはいかないよ、としっぺ返しを食らってしまったような気がします。今年の正月に「大分安定してきたので、後は良くなるだけ。」という気持ちになっていたのを思い出します。ちょっと元気な状態が続くと、江実が抱えているものを忘れてしまいがちです。
 今回のことは、それを思い知らされた気がします。

 感染に端を発した今回の症状とはまったく関係ないのですが、お腹につけたGチューブからも漏れがいつまでたっても改善しないので、Gチューブのお腹に取り付ける部品は外されてしまいました。お腹に開いた穴に直接チューブを差し込んでガーゼなどで覆っています。胃液が漏れるのでまわりの皮膚が赤くなってとても痛そうです。

 私が会社でがやがやと議論していたり、車を運転したり、ご飯を食べたり、酒を飲んだりしている間も、ずーっと江実は声が出せずに苦しくて痛い思いをしているのです。
 でも、仕方ないよな、江実。これが江実の人生だもんね。だんだん良くはなっているし、また、江実スマイルを見せてね。

 お父さんは十日ほど出張で会えないけど、帰ってきたら元気な姿を見れると信じているよ。

 がんばれ、江実。

*写真は上から:
(1) 両手は自由になったけど・・・声もなく涙を浮かべてもがきつかれて寝ている江実。(10月1日)
(2) 霧のサンフランシスコ。霧がなければこの方向にゴールデンゲートブリッジが見えます(10月1日



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