勢川びき
2000年10月28日(土)

No.66 「江実が永眠しました」

 江実が10月24日(火)の午後4時45分頃永眠しました。UCSFの6階のPICU No.4の部屋でした。

 亡くなる前日の10月23日の夜に私が病院を訪れた時は、2時間くらいはっきりと起きていて、私やおもちゃをじっと見詰めていました。PICUに入ってから一ヶ月以上が経っていましたが、その間で、この晩が一番はっきりした意識で起きていたように思います。それも、とても落ち着いた様子で、苦しそうでもなく、ゆったりとした感じでした。(左の写真)
 ただ、血圧の上が60-70と低く、尿が殆どでない状態なので気にはなっていました。  今も私をじっと見詰める江実の視線を思い出します。
 先週のドクターたちとのミーティングで、「脳もダメージを受けている可能性が高い」という話をされましたが、この夜のはっきりとした意識の江実の目線に「脳は大丈夫だ」と確信を持ちました。
 亡くなった後考えると、この晩、江実は私にさよならを言ってくれたような気がします。

 10月24日の朝、PICUの看護婦Elisaから自宅に電話がありました。  昨夜から尿が完全に止まり、血圧が低下している、病院に来た方がいい、ということでした。症状から考えて、再び感染したようでした。
 長女をPreschoolへ送り、妻と病院へ行きました。

 車の運転中、今回はいよいよだめかな、と感じていました。ドクターから「もう一度感染を起こすと危ない」と言われていたこともありますが、これまでも何度も「危ない」と言われてきたことはあっても「もうだめかな」と感じたことはありませんでした。これが虫の報せというものなのでしょう。

 病院に到着し、6階の部屋に足を踏み入れた時、周りの落ち着いた雰囲気とモニタがいつものように動いていることを見て、「あ、間に合った」と思いました。
 江実は殆ど寝ているだけなのですが、時々目を開けました。意識は朦朧としているようでしたが。
 昨夜は血圧の上が一時40台に落ちたこともあったとのことでした。私たちが到着した時は薬の投与によって血圧の上が70台に回復していましたが、呼吸器の酸素濃度が100%に上げられているにも関わらず、血中酸素濃度は80くらいととても低いものでした。昨夜は呼吸器の酸素濃度が60%で、血中酸素濃度は100%でした。

 しばらく、その状態のまま時間だけが過ぎていきました。

 午後2時から、ドクターたちとのミーティングがありました。
 新しい情報はなかったのですが、かなり危ない、ということを私たちに伝えるためでした。
 先週のミーティングとはドクターが異なり、この日のドクターは「もし、心臓が停止したら、蘇生処置は試みたくない。江実はすでに崖っぷちにいて、心臓が停止すれば帰ってくる見込みはほとんどない」という自分の意見を述べた上で「もちろん、あなたたち親の意向に従う」ということでした。
 先週のミーティングでは30分は蘇生措置を行ってもらうようにお願いしたばかりなのに、と思い、再度「確かに江実の症状は厳しいものがあるが、昨晩、江実ははっきり起きていて私は脳にはダメージがないことを確信した。(Elisaも昨日の様子を知っていたので涙目でうなづいてくれました。)蘇生処置を30分といかないまでも10分は試みてください」とお願いし、ドクターも私の気持ちを受け入れてくれました。

 病室に帰った3時過ぎから、江実の血圧は徐々に低下していきました。それに伴い、血中酸素濃度も低下していき、60台にまで落ちることが増えてきました。
 私は江実の背中に手を入れたりしながら、体をさすったり、「江実、江実」と声をかけたりしました。

 「だっこしてもいいよ」とソーシャルワーカー(家族の精神的ケアをする人)のJudithが何度か言ってくれましたが、断っていました。
 3時半ごろ、妻が「だっこしようか」と言い出し、Elisaに頼み、三人がかりでかなりの時間をかけて、江実につながっている沢山のチューブやセンサーをうまくまとめて、小さな布団ごと江実を椅子に座った妻に渡してくれました。(右の写真)
 江実はおかあさんが呼びかけたり体をゆすると、時々目を開けました。
 殆どはただ天井の方を見ていただけですが、一度、おかあさんの方を見たような気がします。
 30分近く妻がだっこした後、私が代わって椅子にすわり、だっこしました。
 血圧は40を切るところまで落ち、心拍数もペースメーカーを入れているのにも関わらず、半分しかなくなったりしていました。それでも私は血圧や心拍のセンサーがおかしいのではないかな、と思ったりしていました。

 4時35分ごろ、江実の呼吸がおかしくなり、モニタを見たElisaがドクターたちを呼びに行きました。江実をベッドに戻し、心臓の上を指の先で押す蘇生処置(CPR)が始まりました。まずElisaが、そしてドクターが行いました。
 それまで時間を示していたデジタル時計が、ストップウォッチモードに切り替えられました。
 CPRや様々な薬の投与が行われ、時々心拍が戻ったり、まぶたがぴくりと動いたりしましたが、デジタル時計が7分30秒を示したころ、ドクターが私に「いろいろなことをやれば、ほんの少しの間は心臓は動くが、すぐにとまってしまう。もう、このあたりでやめよう」と言いました。私も賛成しました。

 私は思いっきり泣いてしまいました。精神はとても冷静なのですが、涙と嗚咽が止まりませんでした。江実の体をさすりながら、なんども「ありがとう江実」と言って泣いていました。

 江実は苦しむ様子もなく、ただ消えるように永眠しました。

 その後、部屋に私と妻だけを残して、他の人たちは出ていってくれました。機器が止まった病室はとても静かでした。

 妻といろいろ話しをしました。江実にもいろいろ語りかけました。

 涙も収まり、ElisaとJudithを呼び、江実の体についていた呼吸器や多くのチューブを外してやりました。そして、サンフランシスコのダウンタウンで買った洋服を着せてやり、唇にはクリームを塗ってやりました。

 まだ体も温かく、本当にぐっすりと眠っているだけのようでした。(右の写真)
 とてもとても安らかな死に顔でした。
 ずっと呼吸器をつけられていて、こんなにすっきりした顔の江実を見るのは久しぶりでした。

 江実、頑張ったね。
 もう、頑張らなくていいよ。

 本当にありがとう。本当に。



次回へ/「がんばれ江実」へ/「BIKIBIKI」ホーム