ゆるむ

勢川びき
2000年1月

 辰夫は超能力者だった。しかし、この超能力は全く「役に立つ」ようなものではなかった。むしろ、この超能力によって、辰夫は様々な困難にいつも直面していた。

 辰夫が何も考えなくても、辰夫の身の回りのものが勝手に「緩んでしまう」のだ。

 子供の時は、しょっちゅう転んで怪我をしていた。靴ひもがすぐに緩んで、そのひもを踏んでしまうためだった。
 中学生ごろからかけだしたメガネも知らないうちにネジが外れてレンズが落ちて、いくつも壊れてしまった。もっともメガネの件はコンタクトレンズに代えてからは問題なくなったが。
 女の子にももてなかった。原因は、いつもなんとなくだらしないからだった。ボタンが取れていたり、ベルトが外れていたり、服の裾がほつれていたりした。いくら朝、出かける前にきちんとチェックしても、午後にはどこかが緩んでいた。

 社会人になってからは会社を転々と渡り歩いた。なるべく出張がない職種を選んだが、それでも何年か勤めていると、どうしても飛行機を使わなければならない出張が入り、拒み続けられなくなって辞表を出す、というパターンを繰り返していた。飛行機なんて、とんでもなかった。絶対、飛行中に飛行機のボルトの何本かが外れてしまうに決まっている。

 会社勤めを諦めた辰夫は、自分だけで出来る仕事を探そうとした。
 最初は「開かなくなったもの、なんでも開けます屋」というものを開業してみたが、たまに開かない瓶を老婦人が持ってくるくらいで、とても商売にならず、すぐに店をたたんだ。
 辰夫は、この世で自分ができることを見つけられずに、しばらくの間、酒浸りの日が続いた。そして、激しい孤独感に教われた。自分にはやれることもなければ、家族も友達もいない。ましてや彼女もいるわけがない。とにかく孤独だ……。そうだ、本当にそうだ、自分には強いつながりがある人間関係というものが存在しない。
 そして、ふと、気がついた。
 「緩んでしまう」超能力は物に対してだけでなくて、人間関係の絆にさえ働いてしまうのだ。
 そう気がついてから、辰夫は新しい職業につき、多くの成果を出すようになった。社会の表には出てこない会社であったが、その業務内容は、「会社の中にできた厄介で強力な組合を解体」することや、「公安からの依頼で危険な左翼団体や新興宗教団体を解体」することだった。辰夫も、他の同僚と同様にそれらの団体の内部にスパイとして送り込まれた。違いは、辰夫は何もしないでも、そのうち団体そのものの結束が緩み自然に解体してしまうことだった。
 辰夫はこの会社の仕事だけでなく、個人でも私立探偵を始めた。ただ、依頼内容は「こじれてしまって別れたい恋人と別れさせてあげる」ことに絞っていた。
 依頼主にその相手と喫茶店で会ってもらい、辰夫自身はただ隣の席に無言で座っているだけだったが、効果はてきめん覿面だった。喫茶店を出るころには、二人の関係は完全に冷め、別れることになっていた。依頼主は「ありがとうございます、あれだけしつこく付きまとわれていたのに、あっさりと別れてくれました。でも、どうやったのですか?」と訝しがった。
 辰夫は、この社会で生きていくすべ術をやっと手に入れた。
 しかし、辰夫は空しかった。孤独は相変わらずであった。

 ある日、いつものようにあるカップルを喫茶店で会わせて、相手の男性が突然席を立ち出ていった後、依頼主の女性の前に辰夫が座り直した。その女性の目を真正面から見た時、辰夫の脳裏に「この女性だ」という想いが噴出してきた。この女性もそうだったらしく、間もなく二人は結婚した。
 結婚はしたものの、辰夫は常に「いずれはこの人との関係もだめになってしまうのだろうな」という諦めに似た気持ちをいつも持ち続けていた。
 しかし、妻との関係は衰えたり緩むこともなく幸せな日々が続いた。

 ある日、辰夫は、いつの間にか自分の身の回りのものが以前ほど緩んでいないことに気がついた。服もほつれていない。冷蔵庫の中の瓶のふたが勝手に外れてしまうこともない。硬く蓋が閉まった歯磨き粉のチューブを手にして佇んでいると、妻が寄ってきた。
 「あなた、とうとう気がついたみたいね。そう、私は、『硬く閉まってしまう』超能力を持っているの。人間関係でもそう。だから、あなたと結婚するまでは、沢山の男から付きまとわれていて、大変だったわ。歯磨き粉もすぐ開かなくなるしね」そういって微笑んだ。「ベストカップルっていう訳だな」辰夫も微笑んだ。
 そして、間もなく辰夫は妻を連れて延期していた新婚旅行に出かけた。もちろん飛行機で。

[おしまい]


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