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明るい家

勢川びき
1999年1月

 『はい、吉川です。ただ今留守にしています。ピーという音がなりましたらメッセージをどうぞ』


 克枝は受話器を握ったまましばらく声が出なかった。留守番電話の応答メッセージは克枝本人の声のままだったのだ。夫の義弘の情けなさと実は自分にもこの人と過ごすだけの人生よりも他にも世界があるのではないか、という漠然とした理由から家を飛び出して2年が経っていた。2年も、である。それにも拘わらず応答メッセージは克枝が失踪する以前に克枝が吹き込んだままになっていた。
 「・・・克枝です。随分ご無沙汰しています。・・・私は元気に過ごしていますが、色々あって・・・ちょっと電話してみただけなんだけど、びっくりしました。私の応答メッセージをそのまま使っていてくれたこと・・・もしかして、まだ私を許して下さる気持ちがあるのだったら、明日の晩7時ごろ、家の全ての部屋の電気をつけておいてくれませんか?明るく出迎えてください。明日、帰ります」
 そう言って、克枝は電話を切った。そして、深く溜め息をついた。電話をかける前はまさか明日家に帰ることを告げるとは思ってもいなかった。
色々な思いがよぎった。失踪してからしばらくがむしゃらに生きていた時は感じなかった一人暮らしの寂しさ。特に帰宅したときに真っ暗な部屋に向ってつぶやく「ただいま」の空しさ。それに反して、なぜ失踪してしまったか、ということについてはどうも生々しくは思い出せなかった。なんとなく義弘が嫌になったというのは覚えているが。


 翌日---
 7時ちょうどに元我が家の近くの駅に克枝は降り立った。家までは徒歩で15分である。歩きながら克枝は色々なことを考えていた。それらの想像は全て、まず家の全ての明かりが煌煌とついていて、ドアを開けると義弘が少しはにかんだように微笑み「おかえり」と言うシーンから始まっていた。
歩いている道を挟んで並ぶ家々からは明るい光が漏れ、時々楽しそうな笑い声が聞こえたりした。

 この角を曲がれば自宅が見える---
 克枝は緊張し、少し立ち止まった。そして、下を見ながらその角を曲がり、決心したように顔を上に上げた。
家は----真っ暗だった。
 見開いたままの克枝の目から、涙が滑り落ちた。許してくれていなかったのだ。克枝は小走りに駅の方に踵を返した。

 義弘は家にいた。
 暗い台所で一人でインスタントラーメンを啜っていた。電気もつけず、テーブルには一本の蝋燭が弱々しく揺れていた。
 義弘は極端な電気製品音痴だった。そういうところも克枝が義弘に耐えられなくなった一つの原因だった。切れた電球も義弘は自分では交換できす、最近は蝋燭を使って生活していた。もちろん、どうやって留守番電話を聞けばいいのか、ましてや、どうやって応答メッセージを変えればいいのかなんて、分かるはずもなかった。

[おしまい]


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