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なんでも記憶

勢川びき
2000年2月

 「大川さん、困るよね」  
 頭に白いものが混じり出している大川は課長の机の前でうなだれていた。  
 「で、今日はどこで書類をなくしたの?」  
 「多分……電車の中だと思うんですが……」  
 「昨日も社長から預かったものを無くして、みんなで大騒ぎしたばかりじゃない。困るんだよね本当に。今日はみんなの時間を使わせるわけには行かないから、自分で探しに行ってよ。あの書類が見つからないと大変なことになるよ。絶対見つけないとまずいよ。馘になるよ」  
 かろうじて小さな声でハイと返事をして大川はとぼとぼと出ていった。  
 結局、一日費やしてやっとその書類を見つけた。電車の中ではなく喫茶店に忘れていた。  
 元々記憶力は良くなかったが、年とともに益々もの忘れが激しくなってきた。最近は、記憶力の悪さに伴うトラブルを起こしては、それを解決するだけのために多くの時間を費やしている。情けなくて仕方がない。  

 見つけた書類を小脇に抱えて会社に戻ろうとしていた。ふと、通りすがりの公園に目をやると、そこはとても賑やかだった。どうやらフリーマーケットをやっているらしい。このまま会社に戻りたくないなあ、と思っていたのも手伝って、足が勝手に公園の中に入っていった。  
 何か買いたいものがある訳でもないが、ぷらぷらと雑多な露店の間を歩くと少しは気が晴れた。  
 ある店で何気なく立ち止まって小さな赤い箱に手を伸ばしてみた。  
 「あ、お客さん、これは優れものですよ」  
 奥で胡座をかいて座っていた男が言った。  
 「何でも記憶してくれる機械なんですよ。いつもベルトにでもつけておけば、自分がした行動を全て覚えてくれるんです。昨日まで私が使っていたから、この機械はまだ私の行動を覚えているので、ちょっとお見せしましょう」  
 そう言って男は赤い箱を取り上げ、小さなボタンを押した。  
 「えーと……そうだな、昨日、何本タバコを吸ったっけ?」  
 男がそう語りかけると、赤い箱がたどたどしく答えた。  
 『二十一本デス』  
 大川は、体中の血が急に動き出すほど興奮した。これがあれば、今の情けない毎日から脱却できる。  
 思ったよりだいぶ高かったので少し交渉した後、大川はこの赤い箱を手に入れた。  

 早速、ベルトにつけてみた。さて、何か試してみよう。何がいいかな。そう考えながら公園を後にした。購入する寸前に店の男がそれまでの記録を全て消去したので、しばらく身につけておかなければ試しようがない。そう考えて、大川はオフィスにはまっすぐ帰らずに街中を歩いた。  
 一時間ほどして、大川はベンチに座って赤い箱のスイッチを押してみた。  
 「商店街の入り口にあった自動販売機の一番左にあったジュースはなんのジュース?」  
 機械は即座に『リンゴトメロンノミックスジュース』と答えた。正解である。大川はそのジュースをしっかりと覚えようと努力していたのでさすがに覚えていた。  
 「えー、次は……」  
 大川は次の質問を考えようとした。その途端、背中に悪寒が走った。探し出した書類がない!  
 「あの大事な書類をオレはどこに!」  
 ベンチを立ち上がり叫んだ。  
 『パン屋ノ前ノ公衆電話』  
 大川は息を切らせてその公衆電話まで走った。書類はまだ電話ボックスの上にあった。先程会社に帰社が遅れる旨の電話を入れた時に忘れたのだ。  
 大川はこの赤い箱が救世主のように感じた。  

 会社に戻り、滞りなく仕事を済ませて、家に帰った。とても足取りが軽い。  
 妻が玄関の扉を開け、大川が家の中に入った。大川はすぐに腰から赤い箱を外して妻に自慢げに見せた。  
 「これが何だか分かるか?これはな……」  
 その言葉を遮るように妻が言った。  
 「知っているわよ。何でも記憶してくれるとか言う機械でしょ。でも、結局、いつも身に着けるのを忘れるから役に立たない!って怒ってこの間フリーマーケットに出品して売っちゃったじゃない。あら、これ、あなたが売ったものだわ。ほら、ここにあなたが書いたイニシャルが」

[おしまい]


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