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耐えられなかった禁煙

勢川びき
1998年1月

 あと、3時間----。
 背中の汗がストレスを表している。
 周りの座席は静かだ。飛行機のエンジン音にかき消されて寝息こそ聞こえないが、ぐっすり寝ている乗客も多いのだろう。
 ヘビースモーカーであるオレにとって国際線の飛行機ほど苦痛なものはない。十時間も煙草を我慢できるものか!いつもは喫煙席を予約するのだが、昨今の煙草いじめの風潮で、最近は全席禁煙の飛行機が増えてしまった。今回の出張は急に決まったので、全席禁煙の飛行機にするしかなかったのだ。
 もう耐えられない----。
 オレは席を立ち、フラフラとトイレに向かった。右手にビニールの袋を持って。
 トイレは幸運にも空いていて、すぐに入ることができた。
 『トイレの中で煙草を吸うことは大変危険ですのでお止め下さい』との貼り紙が目の前の鏡の横にある。
 「わかってるよ、そんなこと」
 オレは独り言を言って計画に取り掛かった。

 オレのアイデアはこうだ。
 とにかく、天井にある煙探知器に煙草の煙が届かなければいい。そこで、まず、ライターを持ってきたビニール袋に入れる。そして、口に煙草をくわえ、煙草と口をビニール袋の中に入れる。左手でしっかりとビニール袋の口をオレの口の周りに押し付け、中からの空気が外に漏れないようにする。そして、左手で、ビニール袋ごしにライターを操り、火をつける。もちろん、吐き出す煙もビニール袋から漏れないようにビニール袋の中にうまく吐き出す。吸い終われば、慎重にビニール袋の口を閉め、縛って、ごみ箱に捨てる。ライターは少しもったいないが仕方がない。

 オレは煙草が切れてきた影響で震えてしまっている手で作業を開始した。一番懸念していたビニールごしにライターを使って火をつけることは意外と簡単に成功した。
 ふーっ----。
 7時間ぶりの煙草は本当に美味い。クラクラするくらい美味い。
 5、6回吸ったところで、大変なことに気が付いた。
 どうやって、この煙草の火を消すのだ----?
 オレの背中が焦りで再び汗をかきだした。
 煙草の長さがどんどんと短くなっていく。あと2センチもない。このまま短くなり続ければ、口を火傷してしまう。どうしよう!
 ところが、物理法則はうまくできているもので、ビニール袋の中の酸素を消費してしまったのか、段々と火の勢いが弱くなってきた。この調子だともう少しで自然と火が消えそうだ。オレはオレ自身が酸欠になってしまわないように、鼻で息をしていた。

 その時----。ポーンという軽い音がして、シートベルト着用サインがついたかと思うと、機体がガタガタと揺れだした。気流の悪い場所に突入したようだ。
 飛行機の揺れに気を取られて、つい、オレはビニール袋をライターごと支えていた右手を緩めてしまった。その瞬間、消えかかっていた煙草の先がビニール袋に触れてしまった。
 白い煙の筋が一本、ビニール袋から流れ出した。それだけだったら良かったのだったが、焦りから、つい口をビニール袋から離してしまい、「あ」と言ってしまった。オレの口から大量の煙が吐き出された。ますます焦ったオレはビニール袋を握り潰してしまい、中の煙の殆どがトイレ内に流れ出してしまった。

 突然、それまで軽い揺れだった機体が、ドスンというものすごい音とともに激しく下に落ちた。エアポケットか?
 これは危ないかもしれない、早く席に帰って、シートベルトをしなければ!充満してしまった煙のことはそっちのけで、オレはトイレのドアを開けた。

 そこには----朝焼けに輝く雲々が眼下に広がっていた。煙を検知した飛行機は自動的にトイレを飛行機の外に放り出したのだ。あのすごい揺れはエアポケットじゃなかったんだ。オレはトイレごと機外に捨てられたのだ。
 すごい強風に煽られて、鏡の横の張り紙が剥がれて目の前を舞った。
 『トイレの中で煙草を吸うことは大変危険ですのでお止め下さい、って言ったでしょ』

[おしまい]


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