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辞令

勢川びき
2000年3月

 「今年のは例年と違ってすごいって噂だぞ」
 「新入社員配属研修のことだろ、俺も聞いた、その噂」
 「ま、上川にとってはどれだけ厳しくても意味がないだろうけどな」
 「ふふん、まあな」
 上川は新入社員の中で既に一目置かれていた。単に学問的に優秀なだけでなく、体も大きく、度胸もあり、口も立つ。頭も切れて、知識も幅が広い。
 「研修の成績によって最後に渡される辞令の一番は、上川に決まりだろうな」
 そう言って、同期の山田はいやらしい笑顔を浮かべた。入社してまだ一週間しか経っていないが、上川の周りに擦り寄ってくる人間が大勢いた。間もなく行われる新入社員研修の成績によって、配属が決まる。単に最初の配属が決まるだけでなく、これによって将来が決まると言われていた。同期の人間が上川に寄ってくるのも、上川が一番となることが間違いないから、今のうちに将来の社長候補の派閥に入っておこうという理由からである。
 成績一番に渡される辞令にはエリートだけが配属される部署名が書いてある。

 研修が始まった。
 研修は二週間にも及ぶもので、最初の一週間は精神的なタフさが、後の一週間は体力的なタフさと知恵が求められた。
 最初の期間は苛めに近い研修であった。街頭でパンツ一枚になって大声で「私はバカです」と千回叫ぶとか、価値のない古新聞の束をヤクザの事務所に持っていって千円以上で売らなければならないとか、一時間以内に五十歳を越した異性をナンパしてホテルに連れこむとかであった。気の弱い新入社員は、研修の内容の説明を受けただけで、実際の研修に入る前に会社を辞めていった。この最初の期間だけで八割以上が会社を去った。その中には無理をして気がおかしくなってしまった者も少なからずいた。
 もちろん、上川は強靭な精神力と巧みな話術を使って全て完璧にこなした。
 第二段階に進めた二割の者を待っていたのはサバイバルゲームであった。全員にほんの少しの食料と地図と「撤退ベル」が渡された。撤退ベルは、もうこれ以上続けられないと思った時に押せば救助がやってくるというものであった。
 社員たちは大波で荒れ狂う海を小型の漁船で無人島に向かわされた。あまりの揺れに島に着く前に半分の社員が撤退ベルを押し、やってきたヘリコプターで連れ去られて行った。
 無人島の断崖絶壁に船が着いた。ここがスタート地点である。第一部の成績トップの上川は地図をさっと確認して、するすると絶壁を登っていった。ロープもなくこの壁を登れる者はそうそういない。五分間隔で研修第一部の成績二番、三番が出発したはずだが、上川の背後に迫るものは現れなかった。
 研修は地図にある場所まで行き、そこに隠されている紙にある謎を解きながら次に行くべき場所を探し当てるというものであった。隠し場所は野生の熊のねぐらであったり、崖の上に生えた細い木の枝の先であったりした。この危険をどうやって克服するかが知恵の勝負であったが、それ以上に指示の紙に書かれている謎も信じられないくらいの難問であった。

 四日が過ぎた。
 上川の顔にもさすがに疲労が貼りついていた。頬がこけ、ひげが伸び放題であったが、目だけは異様に輝いていた。
 ジャングルのようなうっそうとした木々の間からヘリコプターが見えた。どうやら誰かが撤退ベルを押したようだ。まだ他の社員が続けていたことの方が驚きであった。
 ジャングルを抜けると、草原が広がっていた。その端に「ゴール」と書かれた旗が立っていた。上川はふらつきながらもまっすぐにその旗に向かって歩いた。旗のまわりでは社長と三人の男が驚きの目で上川を見ていた。上川がゆっくりと近づいてくるのを見て、社長がやおら紙を取り出し何かを書き始め、慌ててそれを封筒に収めるや手提げ金庫の中に閉まった。
 上川はゴールに到着した。
 「す、すばらしい。いやあ、すばらしい」
 驚愕の顔のままで社長が言った。
 「この金庫の中に君の辞令がある。この鍵を開けることが最後の研修項目だ」
 そう言って手提げ金庫を上川に渡した。
 鍵は四桁の数字を合わせるだけのもので、上川にとっては簡単なものであった。開けるまで三分とかからなかった。しかし、その三分間に社長と三人の男は姿を消した。
 金庫から「辞令」と書かれた封筒を取り出した。中の紙には書きなぐった手書きの文字が踊っていた。
 『まさかゴールする人がいるなんて思ってなかった。これだけのことをやらされれば辞めるのが普通でしょ。辞めてくれなきゃ困るのよね。だって、内緒だったけど当社は後一ヶ月で倒産することになっているんだから。だから「辞めてくれ」という「命令」で「辞令」です。おもしろい? 社長』
 全然笑えなかった。

[おしまい]


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