その青年の名前はTU。ただのコードネームだ。2つのアルファベットの組み合わせでしかない。
TUはクローン人間である。大金持の大川真之介の細胞から作られた。まもなく大川自身は六十歳を迎える。TUは生まれて(作られて)から二十年が経過していた。大川は若くして大金を手に入れ、四十歳の時にTUを作ったのだった。当時の技術は現在に比べると不完全で、多くのクローンの中でTUだけが二十年生き延びていた。
TUは無機質な部屋でその二十年を過ごしていた。窓もない。家具らしいものもない。あるのは簡単な寝具と台と便器、そして沢山の最新型ジム用品である。外界とのつながりは食事の差し入れに使われる小さなドアだけである。TUの毎日はそのジム用品で体を鍛えることだけに費やされていた。
TUは大川が生まれ変わるために作られた。
大川が六十歳を迎える時、大川の脳はTUの若い体に移植され、TUの脳は大川の老いた体に移植されることになっていた。大川は六十歳にして二十歳の若い体に生まれ変わるのだ。
TUは大川に若い体を提供するためだけに生きていた。だから、教育も知識も必要ない。必要なのは体を十分に鍛えておくことだけだ。むしろ、いらない知識は無駄な抵抗を生むだけ邪魔である。
TUは言葉も知らない---はずであった。
「太郎---」
食事用のドアが開き、女性の声がした。
「かあさん」TUが小さく呟いた。TUは言葉が喋れた。「かあさん、この前の本は、とっても面白かったよ。」
「太郎、今日はあなたを外の世界に出してあげるわ」
「えっ」
女性はTUの世話係である。TUが生まれてから、ずうっと世話をしてきた。TUの運命があまりに哀れで、大川には秘密でTUを人間として扱い、言葉や知識を教えてきた。
名前もTUではあんまりだ。そう思い、勝手に太郎と名づけていた。TUには自分をかあさんと呼ばせていた。
「太郎、あなた、女の人に会ってみたいって言ってたわよね」
「うん」TUは顔を赤らめながら肯いた。二十の青年である。当然のことである。
女性は殆ど開けたことのない大きな扉を開けて太郎を促した。
「さ、出ていらっしゃい」
女性の横にはあまり品の良くない人相の男が立っていた。
「おばさん、本当に一週間この男と遊びまわるだけでこんなに金をもらっていいのかよ」男は女性に嫌らしい目つきで確認した。
「ええ、この世の中の楽しいところを十分太郎に堪能させてあげて」
大川の六十歳の誕生日は十日後に迫っていた。移植手術はその日に行われる。女性は、その前に若い体のままでTUにこの世の享楽を味あわさせてやりたかった。
「おい、にいちゃん、いくぜ。じゃ、おばさん、一週間後」そう言って男はTUを連れていった。
一週間---。TUは遊びまくった。女に朝晩関わらず溺れた。信じられない世界だった。もう死んでも構わないとまで思った。
そして一週間後、TUは男に引き連れられて女性のところに帰ってきた。女性は箱を持っていた。
「太郎、お帰り。さ、この箱を開けてごらん」
TUはなんの疑いも持たずに箱を開けた。その途端、白い催眠ガスがTUの顔に吹き付けられた。TUは気を失った。
「太郎、ごめんね。でも仕方がないの」
間もなく大川の手下がやってきた。
「カメ、これまでよくやった。大川様も誉めてくれているぞ。」女性の名はかあさんではなくかめさんであった。
「TUは目覚めた時には真っ白な髪の毛の現在の大川様の体になっているというわけか。カメが大川様に隠れて色々勝手なことをやっていたことは知っていたが、少しは私もかわいそうだという気持ちがあったから黙認してきた。太郎---か。TUのTから付けた名前だな。ちなみに名字は考えたのか」
女性はぽつりと呟いた。「浦島です」
[おしまい]