正直くんがやってきて

勢川びき
1999年4月

 パパパ・パーン、パパパ・パーン……
 教会の厳かな雰囲気を保ったまま、静寂を破るように生演奏のピアノが鳴り響いた。結婚式で定番の曲である。一番後ろの扉が開き、新婦が父と共にゆっくりと一歩を踏み出した。新婦の名は恵美である。
 新郎の孝三郎は最前面の教壇の前で緊張して立っている。

 恵美がバージンロードの半分辺りまでたどり着いた時、突然どこからともなく恵美の前に4、5歳の少年が立ちふさがった。
 恵美と恵美の父は行く手をふさがれた格好になり、その場に立ち止まった。

 少年がよく通る透き通った声で、言った。
 「みんな、正直になろうよ!」
 いつの間にかピアノ演奏も途絶えていて、教会の中は静まりかえっていた。少年は、何事もなかったように、恵美の脇をすり抜けて、ドアの向こうに消えていった。

 恵美は呆然としている父を引っ張るようにして再び足を運びだした。
 「恵美---」
 父が何か言おうとした。その時、恵美が入場してきたドアに人影が現れ、怒鳴るように恵美に声をかけた。
 「恵美!やっぱり俺は恵美が好きだ!俺が悪かった!やり直そう!」
 恵美の3年前の恋人だった川村の声だった。恵美にとっては、川村の後に付き合った5人目の男が今日の新郎孝三郎であり、川村は完全に過去の男だった。「何考えてんだ、ばか」としか思えなかった。川村は苦虫を噛み潰したような恵美の表情を見て、「あー、やっぱりぃぃぃぃ---」と叫んで消えた。

 「恵美、実は---」
 隣に立っている父が神妙な顔をして恵美に語りかけた。「私はおまえの本当の父ではないんだ。お母さんがたった一度の過ちを犯してできてしまった子供なんだ」恵美は驚いたまま静止した。
 「おとうさん!」今度は最前列にいた恵美の母親が叫んだ。「たった一度、と言ったのは、私の嘘です。もう何人とも---。一昨日だってお父さんの目を盗んで、出かけて---」

 「いいかげんにしろ!なんだこの家族は!」今度は、やはり最前列にいた孝三郎の父が立ち上がって怒鳴った。
 「孝三郎!帰るぞ!こんな結婚は許さん!」
 孝三郎の父が孝三郎の手を引っ張ろうとしたが、孝三郎はそれを振り切り、叫んだ。
 「いいんだ!今、これでボクは決心することができたんだ!これまでお父様やお母様のいいなりばっかりの人生を歩んできて、その上、恵美さんという全く欠点が見えない女性との結婚まで決められて、息がつまりそうだったんだ!うまく言えないけど、恵美さんと恵美さんの家族にこんな裏話があったなんて---とっても嬉しいんだ。ボクは恵美さんと結婚する!」

 これまで、単にいい人としか恵美は感じていなかった孝三郎が、逞しい男性となって、恵美につかつかと近づいてきた。恵美の父から恵美を奪うように引っ張り、神父の元に連れていった。
 「神父さん、さあ、やりましょう。私はこれで正直に誓いの言葉を述べられます。」
 孝三郎の目はきらきらしている。恵美も初めて孝三郎に恋心に似た感情を持った。
 神父は、ゴホンと一つ咳きをして、二人を正視した。
 「あ---実は、私は父の財産でこの教会を建てただけの男でして---神も信じていなければ、ちゃんとした神父としての資格も持っていないのです」
 孝三郎は、間をおかずに神父に言った。
 「本当のことを言ってくれて、ありがとう。資格なんて関係ありませんよ、きっと神様に伝わります。さあ、お願いします」
 神父はゆっくりと聖書を開き、いつもの台詞を話だした。
 「……新郎、孝三郎は、健やかなる時も病めるときも、いつも、永遠に、妻、恵美を愛し続けることを誓いますか?」
 「はい!」
 孝三郎は大きな声で答えた。
 神父の次の台詞が始まる前に、どこからともなく柔らかい声が聞こえてきた。
 「ちょっと待って。私は神です。こういう宣誓を何億回も聞いてきたけど、私は何もできません。だから、誓われても困るし、誓ったからっていって将来の保証は全くないし。……あら、どうして本当のことを……」
 出席者がパラパラと席を立ち、帰り出した。

[おしまい]


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