脇道

勢川びき
1998年9月

  「佐賀くん、まだ出来ていないのか?冗談だろ?」
 「か、課長、す、すいません、実は----」
 「もう、いい!君の言い訳はやたら長いだけで聞くだけで疲れる。ちょっとコピーを頼んだだけで、もう2時間も経っているんだぞ」
 すいません、と、頭を下げたままの佐賀の手から課長はコピーの原稿を取り上げ去っていった。「最初から君に頼めば良かったんだ。佐賀みたいな男に情けをかけて仕事を振った私が馬鹿だったのだ」課長はそう言って女子社員に原稿を渡した。

 何をするにも要領が悪い。とにかく時間がかかってしまう。それが佐賀という男である。
 しかし、その理由は、決して佐賀自身が悪いだけとは言えなかった。彼は「脇道に逸れる」運命の星の元に生まれていた。
 佐賀が何かをしようとすると、何か別のことが起き、その別のことを解決しようとすると、また別のことが起き   この繰り返しをしているうちにどんどん時間ばかりが過ぎてしまい、元々やりたかったことがなかなかできないのであった。
 今日の課長から頼まれたコピーも、コピーをしようと思ってコピー機まで行くと、紙がない。いつもはコピー機の横に積んである予備の紙もない。仕方なく、備品庫の部屋まで紙を取りに行くと、備品庫の中の電球が壊れていて、中が真っ暗で見えない。懐中電灯を借りに総務まで行くと、総務の部屋は女子社員が悲鳴をあげて逃げ回っている。どうしたのかと聞くと、どぶねずみが現われて、部屋の中を走り回っているらしい。佐賀がやっとの思いでねずみを素手で捕まえて、窓から放り出すと、きたない、不潔、と、罵声を浴びさせられ、感謝の一言もない。トイレで手を洗ってからもう一度総務に懐中電灯を借りに行くと、懐中電灯は総務ではなく警備に借りに行ってくれとのこと。守衛のいる裏口に行くと、搬入業者が倒れかけた段ボール箱を必死に支えようとしていたので、それを手伝って   というようなことをして、やっとコピー用紙を手に入れてオフィスに戻ったら2時間が経過していた。
 いつもこの調子である。だから、誰も佐賀には仕事を頼まない。

 仕事だけではなかった。どちらかと言えばモテる顔立ちの佐賀だが、女性に関してもいつも脇道にそれてしまい、本当に好きな女性からは見向きもされずに終わってしまうのが常であった。
 課長に怒鳴られ、落ち込んでいる佐賀の頭には、初恋の女性の健やかな笑顔が浮かんでいた。高校時代だった。未だに辛いことがあると頭に浮かぶのはこの初恋の女性だった。彼女に告白を決心した日も、同じように色々なことが次から次へと起こり、結局機会を逸してしまった。その後、彼女への想いは続いたが、脇道に逸れる運命によって、彼女は徐々に佐賀から離れて行き、今ではどこに住んでいるのかも分からなくなってしまった。

 最近は、一人で居酒屋で酒を飲む日が続いていた。酒を飲むのも一筋縄ではいかない。様々な邪魔が入り、酒を口にできるのは深夜近くになることが多かった。

 今日もやっとありついた酒に溺れて、佐賀は千鳥足で自宅に向かっていた。
 「おにいさん」
 道端の占い師が声をかけた。また脇道に逸れる。まっすぐに家には帰れない。
 「見ましょう」
 どうせ、ここを振り切っても何か別のことが起きる。佐賀は言われるままパイプ椅子に座った。
 「ははぁ。こりゃ、すごい。でも大丈夫。今のアナタの仕事も脇道の一つですよ」
 なんでこいつは俺が脇道に逸れることを知っているのだろう---そう、酔っ払った頭でぼんやりと考えていた。
 「でも、人生って、結局脇道の連続です。その途中に良いこともあります。とにかくアナタはタクシー運転手に転職しなさい」

 翌日---
 佐賀は会社を辞職し、タクシー会社に転職した。別に占い師の言葉を信じた訳ではなかったが、今の会社には未練はなかった。
 しかし、タクシー運転手になっても「脇道に逸れる」運命には変わりなかった。お客さんに言われた場所に向かおうとすると、渋滞につかまり、抜け道に逃れると工事にぶつかり、前を走っていた車が突然パンクして修理を手伝う羽目になり   散々だった。自分一人が悲しくなるだけでなく、お客さんにまで迷惑をかけるので、より質が悪かった。
 だが---
  一ヶ月後。佐賀は「最優秀売り上げ賞」をもらった。不況のため近距離のお客さんばかりの状況で、佐賀はやたらと脇道に逸れて遠回りし、時間がかかるため、売り上げのトップとなったのだった。
 「やっと天職に出会った」
 佐賀は自分の運命を怨むことを止めた。

 *   *   *   *   *

 「おいおい、またかよ」
 電柱が倒れ、修理のために通行止めになっている様子を見て、客が呆れて怒り出した。
 「ここでいいよ、降りる。あんた、何か憑いているんじゃないの?」そういって、客は出ていった。そのドアが閉まる前に、「お願いできます?」と言って、女性が顔をタクシーに入れてきた。
 「助かったわ、こんな脇道でタクシーを拾えるなんて。ラッキーね。あら?佐賀さん?お久しぶりね」
 初恋の女性だった。脇道もいいもんだ。

[おしまい]


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