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<< 第4回>> 勢川びき 2000年2月6日

ツアラトォストラはドリーで死んだ

 大学時代に立て続けに哲学関連の本を読んだ時代がありました。
 その中でもニーチェがとても印象的でした。

 ニーチェの代表作に「ツアラトォストラはかく語りき」があります。最初から最後の寸前までは中々面白く、ははぁ、なるほどね、そういう考えもあるんだ、と思ったような記憶があります。ただ、最後の章でのツアラトォストラの考えには違和感を持ちました。
 なんせ20年も前に読んだだけですので、実は全くの私の記憶違いの可能性もあるのですが、簡単に言うと「人間は死んでも原子はそのまま残るのだから、とても遠い将来、今の自分と同じ肉体がたまたま復活することは必ずある。時間は無限なのだから」というものでした。
 哲学はある意味で精神領域を扱う思想ですが、昨今の遺伝子工学の生命への挑戦は大いに関わってくるべきです。

 一昨年、クローン羊ドリーが誕生しました。
 恐らく、世界中の誰一人、ドリーが元の羊と「イコール」だとは思っていません。私も思いません。そっくりであるだけで、別のものです。
 つまり、遺伝子がイコールで、体がそっくり同じ物でも、精神面を含んだ命としては違うのものです。
 ですから、ツアラトォストラが何千億年待って同じ肉体がこの世に産まれたとしても、ツアラトォストラ自身は復活したことになりません。
 例えば、ドリーが産まれた瞬間に、元の親羊が「精神」を突然失って、あたかもドリーに移動したようなことがあったなら、ツアラトォストラは復活できたかもしれません。

 ツアラトォストラはドリーが産まれたことによって死んだのです。

 「精神(魂と言った方がいいかな?)を含むまったく同じ生命がこの宇宙では一つしか存在しない」ということを私たちは無意識に思っています。
 だから「スタートレック」の『転送!』で、元の体が消えてから、別の場所に「新たな体」と「それまでの精神」を持った人物が現れても違和感がないのでしょう。


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