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やりなおし

勢川びき
2001年6月


 静かな家の中で達夫のアルバムをめくる音だけが時々聞こえていた。
 アルバムには若い達夫と妻だった恵子が笑って並んでいる。その二人の前にはまだ幼稚園児だった良子がおどけている。
 ああ、こういう幸せな日もあったんだ   
 家族のためにと歯を食いしばって働いて働いて、その結果がこれか。良子は訳のわからぬ男と駆け落ちするし、恵子も定年退職を迎えた日に「ここまでね」と出て行くとは。
 「やりなおしたい」
 達夫がそうつぶやくと、突然部屋の片隅に湯気のようなものが湧き出し、長く伸びた白いひげをたくわえた老人が現れた。
 「だ、誰だ、おまえは」
 「ほほお、ちゃんと忘れたままなのだな。ま、わしは君たちがいう神じゃ」
 「神だと?今の言い方だと以前にも会ったことがあるのか?」
 「まあな。わしがしっかり忘れるようにしておいたから無理もないが」
 「---これはもしかしたら『お迎え』か?人生に落胆した俺は気がつかないうちに自殺でもしたのか?」
 「んにゃ、ちがう。おまえが『やりなおしたい』とつぶやいただろ。だからいつものように出てきたんじゃ」
 「やりなおせるのか、人生を」
 達夫の目に生気が戻った。
 「ああ、みんな忘れとるが結構何度もやり直しているんじゃ」
 「では、初恋の相手の涼子とやりなおすこともできるのか」
 「あ、それはだめじゃな。もう既に一度やってみたじゃないか。かわいい顔をしているが性格がひどくていつもおまえは殴られていて、結局『やりなおしたい』と言って私を呼んだじゃろ」
 そう聞いて達夫は忘れていた「やりなおした人生」を思い出した。
 「そうだった。確かにあいつはひどいやつだった。では、大学に行かずに好きな絵を続ける人生をやってみたい」
 「それもやったじゃろ。三十歳まで極貧の生活を続けた後、やっと有名なコンクールで入選したものの、その後全く鳴かず飛ばずで自殺寸前まで行っただろ」
 「ああ---。思い出した。自分が信じていた自分の才能が実は無かったのだということを思い知らされた時の辛さを---。そうだ、就職活動の時に合格したもうひとつの会社、広告代理店だったかな、そこへ入る人生はどうだろう」
 「華やかなのは一部の人間だけ。おまえのようなタイプは使われるだけ使われてボロボロになって、結婚どころじゃなかったのを忘れたか」
 「これも聞くと思い出した。いつまでこの生活が続くのだろうかと暗闇を進んでいるような毎日だった」
 達夫は下を向き黙ってしまった。
 達夫の目の前には恵子と良子が笑っている写真があった。
 「この人生もそれなりにいいこともあったんだな。そんなに悪い人生じゃなかったかもしれない。仕事をしすぎたのがいけなかった。もっと家族との時間を持てば良かったんだ。このままでいい、ただ三十年前に戻してくれ」
 「そうやってすぐに会社をクビになったじゃろうが」
 「そうだった。その後すぐにヨメさんも娘を連れて出ていった。悲惨だった」
 再び達夫は黙ってしまった。
 「どうする?このまま後の人生を過ごすのも悪くはないと思うが」
 老人は達夫の顔を覗きこんだ。
 達夫は急に顔を上げ老人の目を見詰めて、「もう人生のやりなおしはいい。俺はあなたになりたい。色々な人生を見て、人の人生をやりなおしさせたい。頼む、俺をあなたにしてくれ」
 老人はびっくりしたような顔になったまま言葉を失った。長い沈黙の時間が流れた後、老人が口を開いた。
 「今の言葉で今度はわしが思い出した。わしも今のあんたと同じように神という男に頼んでこの仕事につかさせてもらったんじゃった。すっかり忘れさせられていたがの。おかげでその前のどうしようもないわしの人生を沢山思い出してしまったじゃないか。どうしてくれる」

[おしまい]


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