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星に願いを

勢川びき
1998年10月


 東京の街の空気は淀んでいる。
 沈みかけた夕陽がビルの片面を橙色に染めているが、その色が濁っている。重たい汚れを含んだ層が街を覆っている。でも、その上の空は比較的澄んでいる。
 「あ、一番星だ」
 星子はあまり高くない古いビルの屋上でフェンスにもたれかかって立っていた。名前が星子であるからという訳でもないが、彼女は星を見るのが好きだ。まだこれから残業しなければならない。いやな課長と。気分転換するために屋上に上がってきた。
 「隆夫くんの機嫌がなおりますように」
 星子は一番星に向かって願った。恋人の隆夫と昨晩喧嘩してしまい、それを今日修復しようと思っていたのに課長から残業を言いつけられたのだ。

 『いい加減にしろよな!』
 星子はびっくりして、屋上への入り口の方へ振り返った。しかし、誰もいない。突然聞こえた声は直接頭の中に響いた感じがしたのだが、星子の前はフェンスしかなく、反射的に後ろを振り向いたのだ。
 『確かに私は一番星だよ。目立つんだよなあ、一番星は。だからやたら「お願い」されてしまう』
 星子は、目を大きく見開いたまま、遠くのビルの上で輝いている小さな星を見つめた。
 『分かっている人は分かっていると思うけど、私は金星です。そ、地球と同じ太陽系の惑星なのよね。』
 頭の芯に直接響く声はしゃべり続けた。
 『だから、地球が結構近いもんだから、そうしても大きくて明るく見えてしまう。でも、本当はとっても小さい星なのよ。それなのに、私ばっかり「お願い」がやってくる。やってられないわ!』
 ふと気がつくと、星子がいるビルの少し先のビルの屋上にも人影があった。男性だ。男性も同じ星の方を向いて、驚愕の顔のまま固まっている。彼にも聞こえているのだろうか。
 『確かに全ての星は「お願い」を叶えてあげる能力はもっているわ。でも、それは星の大きさに比例するのよ。私なんか、この宇宙の中ではとんでもなく小さい存在なのに、たまたま変な人間という生物が異常繁殖した地球のそばにいるだけで、「お願い」洪水に見舞われて大変なのよ。いい加減にしてね!お願いはもっと他の立派な大きな星にしてよね!いい!分かった?』
 あまりの迫力に、星子はつい、「はい、分かりました」と呟いていた。別のビルの屋上の男性は大きく頷いている。
 声はこれで終わった。
 「山辺くん!何してるんだこんなところで!忙しいのに」課長が屋上まで上がってきたらしい。星子は課長の側を駆け抜け、全速力で階段を駆け下り、先ほどの男性がいたビルに走っていった。星子が屋上にたどり着いた時、まだその男性は呆然と立っていた。
 「あ、あなたも聞いたの?金星の声」
 男性は驚いて振り向き、「き、聞いた」
 とだけ口を動かした。

*   *   *   *   *


 この時刻に、たまたま金星を見つけ「お願い」をし、金星の声を聞いた人が全国に五百六十三人いた。それぞれ、自分の頭がおかしくなったのでは、と心配し、しばらくは他言しなかったが、星子と男性がきっかけとなり、この事件は三日後には日本だけでなく、全世界に知れ渡るようになった。
 マスコミの騒ぎようは物凄かった。
 とたんに変な専門家がテレビの画面に溢れ、「流れ星の場合は大きさは小さいが、一瞬しか見えないので、願いを流れ星にできる人数が少ないため、小さくても十分処理できる。それで、流れ星に願うという習慣が多くの国にある」とか、「本来なら、金星よりは太陽の方が格段に大きく、願いを叶える能力も大きいのだが、しっかり見つめられないので願いには向いていない」とか、さも昔からこの分野を研究していたような発言をしていた。
 本屋でも「この星に願おう」「アナタの願いをかなえる星の選び方」などのノウハウ本が溢れた。内容はどれも「どれだけその星が大きいか」「どのくらい沢山の人がその星に願いを送っているか」のデータ分析が主であった。
 そんな時、ある天文学者が、銀河系から遠く離れたW8星雲の中心付近に巨大な星が存在することを発見した。その大きさは、これまで発見された最大の星のなんと一万倍もあった。すぐに世界のあちこちでこの星に願いを送ることを教義の中心に置く無数の新興宗教が勃興した。既存の長い歴史を持つ宗教もこの星の存在を無視できず、この星に願う活動も取り入れざるを得なかった。殆どの人類がこの巨大星に願いを送る習慣を身につけた。
 星子はどの宗教にも属さなかったが、やはりこの巨大星に願いを送っていた。夜、その星の方向に向かって「隆夫くんと結婚できますように」と呟いていた。

 
 しかし、本当は、これら人類の全ての願いは何一つ叶うことはなかった。願いが巨大星に届くまでに一万年もかかってしまうことを誰も知らなかった。
 一人、金星だけが幸せだった。「やっと、静かになったわ。一万年前の願いがやっと叶ったわ」

[おしまい]


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