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勢川びき
1999年5月

No.2「統計的視点と親の身勝手」

 心臓の問題を抱えるまだ見ぬ娘に想いをはせた時に、自分の中に二人の全く異なった見方が現れます。
 一つは、広い視野に立った冷徹な視点「統計的・確率的視点」です。
 沢山の生命がこの地球上にあり、沢山の人間が生きています。
 人間の命が尊いものだとすると、いかに確率的に、もう少し生きられる人の命を助けるか、が重要な考え方になります。
 最近日本でも始まった「脳死移植」もその考えに立っています。
 つまり、「脳死になった人が生きかえる可能性よりも、その人の臓器を生かして移植することによって、多くの人たちの命が助かる可能性の方がよっぽど高い」というものです。
 1ヶ月くらい前の読売新聞で読んだのですが(日本への出張中)、私のベイビーと同じような心臓の問題を抱えていた子供が、残念ながら3歳で亡くなったという記事の中に、「心臓移植をするには3億円程度かかり、この子の場合は移植手術を米国で受けるために渡米していたが、受けられなかった。しかし、それまでに1億5千万円ほどの費用がかかった」とありました。
 その記事を読んだときに「こりゃ、大変だなあ」という気持ちと同時に「それだけのお金をかければ、世界で何人の子供たちを助けられるのだろう」という「統計的・確率的視点」が頭に浮かびました。

 一方で、親はとっても身勝手なものです。自分の子供を助けるためには何でもする、という無意識な決心があります。

 読売新聞の例の場合は、多くの方々がこの子を救うために献金したそうです。でも、その献金を他の多くの「ほんのわずかなお金で助かる子供たち」に回してあげたら・・・と思う気持ちと、「我が子を助けるためには、そんなことは考えられない、何が何でも我が子を生かしてやる」という気持ちが混在します。
 で、結論としては「自分ができる範囲の最大限の努力を我が子にはしてやろう。そこに限界があるのもこの子の運命の一つだ。」ということになりました。自分の考えとして。

どうしてもこの「娘」の話はこんな風に「かたい話」になりがちですので、次回は少し軽めの話を書きましょう。


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